妊娠発覚
お腹の張り
私がアパレル販売員として働いていた頃の話。
5年目を迎えるとき第一子を授かっていることがわかりました。
接客をするときはもちろん、雑務も立ちながらの作業なので
お腹が大きくなると腰も痛くなるし、なによりお腹が張るんです。
お腹が張るというのは、
男性の方や経験のない方にはイメージがしづらいものなのですが
お腹がキューっとカチカチに硬くなっていくんです。
まるでボールのように。
「ガスがたまってお腹が張るもの」とは違う張りです。
この“張り”、実は子宮が収縮していることを指していて
当時の私は特に気に留めず、妊娠時にあたりまえにおこるものだと思っていました。
おそらく妊婦さんは誰もが経験しているものだと思いますが、
問題は頻度です。
退職するまで
当時の職場の同僚はみんないい人ばかりで、
妊娠している私を気遣ってくれていました。
お客様がいないときには
「座ってていいよー‼」と言ってくれたり、力仕事のときには
「変わるよー‼」と言ってくれたり。
本当に支えられながらお仕事が出来ていたのです。
出産予定月は2月だったので、
12月20日の最終出勤日までに担当お客様の引き継ぎなど業務をこなす日々。
仕事を辞める旨をご連絡していたお客様方も
ありがたいことに会いに来てくれて
接客やお話も弾んで1〜2時間は立ちっぱなしが続いていました。
接客中にお腹が張るもアドレナリンが出ていて
そこまで気にならず、お客様のお見送り後に張り返しが
頻繁に来ていました。
でも私は妊娠中のお腹の張りはあるあるだと思って特に気にも留めず。
そんな日々を送りながら
退職して数日後、産婦人科に健診に行きました。
健診からの入院通告
12月25日、いつも通り進む内診。
と、思いきや突然の産婦人科 院長先生のひと言。
先生「あ、短くなってるね。はい、入院ね」
私「・・・え⁈」
先生「子宮頸管が短くなってるから点滴で止めておかないと
出てきちゃうからね。そのまま帰らず入院して。
荷物は旦那さんか誰かに持って来てもらってね。」
私「え、一度帰ってからじゃダメなんですか?」
先生「うん、このまま入院。」
(えーー!!)
と思いながら、
言われるがまま病室に案内されました。
入院生活の始まり
入院中は、子宮収縮抑制剤の点滴を常時打ちながらの生活です。
トイレに行く時は、点滴スタンドを転がしながら。
お風呂もだめです。←これが1番辛かったかもしれません。
そしてNST(ノンストレステスト)。
妊娠後期になると、
安静にした状態でお腹に2つのセンサーをつけ
赤ちゃんの心音や子宮収縮(ストレス)の様子を
チェックするのですが、これを毎日行うんです。
入院中は点滴をしながら寝たきり状態なので
NSTも寝た状態で30分以上動いてはいけません。
(動くと検査に影響がでるため)
大きいお腹でずっと同じ体勢ってかなり大変でこれも辛かった…。
ナースの方に「体勢を変えたいです」と言えば
対応してくれることを数日後に知った私。
もっと早く知りたかった~(;´Д`)
徐々に募るストレス
お風呂も入れない、
寝返りも自由にうてない(点滴があるため)、
もちろん動き回れない、
色々な制約が重なりすぎてストレスMAXになるのは時間の問題でした。
ちなみに身体の汚れは濡れタオルで拭きます。
健診やNSTで調子が良ければ週に1回
シャワーの許可がおりました。
(時間制限付きですが)
家にいる時はお風呂のありがたみを
そこまで感じたことがありませんでしたが、
1週間も入らないことが
こんなにも不快に感じるなんて
初めて知りました。
髪がベトベトですからね…。
Xmasに入院生活が始まり、
年越しも病院でひとり過ごすなんて…。
「休んで!」という身体の訴えを軽んじてた結果がコレです。
友達と楽しそうに年越しを迎えた瞬間の
動画が夫から送られてきたときには
イラッとしました。
こんなに孤独が悲しかったのは今でも忘れません…(-_-)
退院の許可
年明け以降も
健診、NST、看護師さんによる問診など
毎日繰り返し。
気づけばいよいよ36週です。
36週2日、この日も朝から健診を受け
先生「一応36週を過ぎたから点滴外せるけど、退院したい?」
私「はい、退院したいです。」
先生「いいけど点滴外したらすぐに陣痛くるよ」
と忠告されましたが、
それでも退院したかったので決断は変わらず。
助産師さんからも
「陣痛っぽいなと少しでも感じたらすぐに連絡して!」と
一言いただきましたが、
陣痛って自分でわかるのかな?と思いつつも
そそくさと準備を済ませ、お迎えに来てもらい
夕方、久々の自宅に到着。
病院食も割とおいしかったけど
好きなものを好きな時間に食べることができる。
のんびりしてても
看護師さんが出入りしない。
自分のペースで生活できるって幸せです。
病院へ後戻り
これが陣痛?
そんな風に考えてるのも束の間、
夜から次第にお腹の張りがあるような?
20分間隔。
でもそんなに強くない。
10分間隔。
まだ我慢出来るほどの強さだけど
しっかり等間隔に来てる!
夜明けの4時ごろ、一応産婦人科に連絡を入れます。
私「あ、もしもし。しばこです。」
看護師さん「しばこさんですねー、
出産準備して病院に来てください」
と名前を伝えただけで即答されました。
まだ余裕、だけど緊張
病院に着いてもこの時はまだ余裕があります。
しばらく夫と談笑したあと、
助産師さんが陣痛の促進をするために
お風呂を準備してくれて軽く浸かりました。
お風呂から上がると
だんだん陣痛の痛みが増してきます。
11時ごろ、
腰が割れそうになるくらいの
体験したことのない痛みが。
腰をさすってもらないながら
子宮口が開くのを
ひたすら待ちます。
「え、分娩室まだ??」と思いながらもまだ案内されず。
子宮口を度々チェックされ、
助産師さん「うん、開いてきたね!移動しようか。」と
運ばれていきました。
ついに出産
運ばれてすぐに
午後1時。
いよいよ痛みも最高潮で、
私がきちんと呼吸をしなければ赤ちゃんに
酸素がいかないと聞いていたので、
必死に呼吸を整えました。
切迫早産で入院するほど、
赤ちゃんも下に降りてきていたので
分娩室に来てから出産まで
あっという間でした。
助産師さんの声掛けどおりに
力を抜いたりイキんだり、
繰り返してるうちにニュルンとした感覚が!
夫も産婦人科に着いたばかりの両親も
「え、もう産まれたの?」と
驚いていたくらいです。
我が子はいずこ
ですが、
出産してすぐに
我が子とのご対面!とはいかず、
赤ちゃんは別室に連れていかれました。
産声をまだあげていなかったのです。
私は出産後の放心状態もあり、
別室の様子はわかっていませんでした。
別室はガラス張りで奥には沐浴スペース、
手前には乳児が並んで寝ており、
その様子をガラス越しから家族が見れるようになっています。
その部屋の奥に連れて来られたかと思えば、
看護師さん(もしくは助産師さん)が我が子を逆さまにして
バシバシと身体を叩いていたそうです。
他の看護師さんがすぐさまカーテンを閉めたので
夫と両親はそれ以降の様子が見られなかったようですが、
その話を聞いた時には驚きました。
まさかそんなことになっていたなんて。
そして後から看護師さんから聞いた話によると、
羊水をたっぷり飲んでいて上手く空気が吸いこめていなかったと。
ご対面
迅速な対応のおかげで
無事に元気な産声を聞かせてくれて、
出産数分後には
私の元まで連れて来てくれました。
本当に私が産んだんだ…小さくて可愛い…と
色んな感情が出てきて不思議な感覚です。
世間でもよく言いますが、
コレがゴールではなくスタートなんですよね。
さいごに
切迫早産で入院が決まった時には
色んな方の体験談が書かれたブログを読み漁ったほど不安で不安で…。
そんなうちの第一子も
今では小学生になりましたが、
「産まれる前にせめてもの休息を」
という暗示だったのかな?というくらいに
元気に育っています(^_^)
本当に!無事に産まれてきてくれてよかった!!
想像ができないものほど
怖いものってないですよね。
ここまで読んでくださった方は
同じくこれから切迫早産で入院されるか
もしくはその身内の方か…
とにかく不安でいらっしゃると思います。
この体験談で何かの参考になるかは
わかりませんが、
こればかりは自分の力で
どうにか出来るものではありません。
どうか一人でも多く
小さな命が無事に
産まれてくることを心から願います。